映画「本心」は、仮想空間に蘇らせた母親のAIと向き合いながら主人公が抱える感情の葛藤を描いた近未来SF作品です。
作品自体は、そのテーマや設定において非常に興味深い要素が多いのですが、実際に観た後には消化不良感が残る部分も少なくありません。
今回はこの映画の消化不良感の原因を3つの観点から考察していきます。
考察① 近未来の描写がリアル感に欠ける
「本心」の近未来設定は、登場するテクノロジーやガジェットに魅力があるものの、どうしてもリアル感に欠けている部分が目立ちます。
特に、主人公が使用するスマートグラスやVR機器のデザインが非常にダサく、現実世界で手に入るガジェットと比較しても劣っているように感じられました。
例えば、リアルアバターを通じて仕事をする描写では、現実感が薄く、視覚的に説得力を欠いてしまっています。
これが近未来の作品としては致命的で、映画全体の没入感を損なっています。
そのため、未来感を表現したいのであれば、もっとディテールにこだわり、視覚的に説得力のあるデザインやテクノロジーの進化を描写する必要があったと言えるでしょう。
考察② 物語が広がりすぎている
映画の内容は非常に多くのテーマを盛り込み過ぎており、その結果、どの要素も十分に掘り下げられず、消化不良に感じる部分が多いです。
例えば、主人公が過去の恋愛に動揺し、仕事や社会における格差について考えたり、母親との関係を深めようとしたりしますが、それぞれの要素が十分に描かれていないため、物語が散漫に感じられます。
さらに、AIに感情が宿るのかどうかといったテーマも掘り下げられるべきですが、途中で唐突に登場する美さんとの関係やバーチャルフィギュアの暴走などが、映画の本筋から外れてしまい、視聴者にとって理解しづらい状況を生み出しています。
物語があまりにも広がりすぎてしまい、各テーマに焦点を当てていないため、観客としては一つ一つのエピソードに感情移入できず、結局最後まで消化しきれない感覚に陥ってしまいます。
考察③ 母親の「本心」の描写が不十分
映画の最も重要なテーマである「母親の本心」が描かれきれていない点も、消化不良の原因の一つです。
主人公が仮想空間に蘇らせた母親AIは、心を持っているのかどうか、感情が宿っているのかを探ることが大きな軸となっています。
しかし、映画はその問いに対して明確な答えを示しません。
母親の「本心」を知りたかった主人公が、最終的に得る答えは非常にあっさりとしていて、期待していた深い感情の葛藤や成長が描かれませんでした。
むしろ、母親AIがやり取りの中で自発的に情報を発信することに対して、あまりにも軽く流されてしまうため、その重要性が十分に感じられませんでした。
「本心」をテーマにしているのに、その本心が結局不明瞭なままで終わる点は、視聴者にとって納得できない部分であり、作品全体にとっての大きな欠点となっています。
まとめ
映画「本心」は、近未来のテクノロジーやAIの感情についての興味深いテーマを扱いながらも、その描写においてリアル感が欠けていたり、物語が多方向に広がりすぎて消化不良感を生んだり、肝心の「母親の本心」が不十分に描かれてしまったりと、幾つかの問題点が浮き彫りになりました。
物語の構成やキャラクターの感情の描写がもう少し深堀りされていれば、より感動的で説得力のある作品になったはずです。
テクノロジーやAIの可能性を描きながらも、それらに感情や人間らしさをどのように組み合わせるかという点に注力していれば、より印象に残る映画になったでしょう。